高野悦子さんの日記をまとめた『二十歳の原点』を基にした創作の練習が続きます。この本は、私ぐらいの世代にとってはまだ親しみがあろうと思いますが、1980年代以降に生まれた方にとっては、今回初めて名前を聞いたぐらいかもしれません。
なにより、この本が書かれた頃(1969年頃)の若者が考えていたことは、今の20歳とはずいぶん違う気がします。もちろん若者が悩んだり、葛藤したりする感覚はそう変わっていないとは思いますが、価値観や社会の様子はだいぶ違っているように思います。
演出家のこだわりは、まず「人が生きているリアリティー」を芝居に出現させること。そしてさらに、おそらくその背後にある社会的な(時代背景を伴った)「リアリティー」を感じさせることも求めているに違いありません。特に後者は、かなりハイレベルな要求だと思います。時代の様子や、状況を資料を元に外面的にとらえる(観念的に理解する)ことはそう難しいことではありませんが、身体性を伴ってとらえることはプロの俳優でもなかなか難しいように思います。人がどういう心持ちで生きていたかや、どんな価値観を持って生きていたかなどは、結局想像してみるしか手が無いないと思います。しかも、頭での想像ではなく動きや、仕草に現れるレベルで。
そんな経験はこうしたことでもなければ、なかなかしないことでしょう。
彼らが熱心に「日記」を読み解き、それを身体化しようとすることは、まさに劇的な行為です。そんな作業を見ていると、演劇は時代や人を鋭くみつめる装置なのだと感じます。彼らが60年代にどう迫るか、期待したいと思います。
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